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献体49年

大阪歯科大学
 
本学の遺体実習は昭和22年、解剖学講座の創設とともに実施された。その頃の社会情勢は現在とは異なり、解剖遺体の確保は極めて困難であった。そのため故谷口善之教授をはじめ、前太田義邦教授や前時岡孝夫助教授(現明海大学教授)ら全講座員が解剖実習遺体の確保のために活動されていた。幸いにも昭和43年、故松本音吉氏(明治29年生 日本歯科医専卒)が自らの名刺に「吾が遺体を大阪歯科大学に献納する」と刷られて、数人の同志とともに遺体の提供にのり出した。これは本学の解剖学講座への偉大な激励となった。そして昭和47年、松本氏は故和田政吉氏、故大内憲介氏とともに、大阪歯科大学への献体の会の創設を申し出られ故白数美輝雄理事長・学長および太田義邦教授の理解を得て、「大阪歯科大学黄菊会」が発足した。「黄菊会」の名称は当時の厚生大臣斎藤昇氏に志しを打ち明けられた結果、医学部の白菊会に対し、歯学部だから「黄菊会」が良かろうとのご意見のもとに、事実上名付け親ともなられた。同時に故松本氏ご自身が会員第一号として登録され、関係者一同は氏を会長に推した。
昭和48年、毎年解剖体慰霊祭が行われていた四天王寺英霊堂の隣地に立派な慰霊碑が建設された。その碑には白数美輝雄理事長・学長が「歯学の教育研究に寄与されたる崇高なるみ霊ここにあり」と刻鏤された。会の発足数年の入会者は微々たるものであったが、次第に入会される方が多くなった。昭和53年には機関誌「きぎ久」が創刊され、現在まで第18号が発行されている。昭和55年5月31日、松本会長は大阪大学白菊会会長、故山本信吾氏と「ナニワの医学・歯学の進歩発展のために」との趣旨で、相互の献体会間に提携覚書の交換が行われた。この提携は昭和60年さらに5年間延長した。その後も、絶え間ない献体運動により、社会情勢は献体支援の方向へと流れ、その流れとともに黄菊会会員数の著しい増加をみるに至った。
松本会長は黄菊会創立二十周年記念を待たず、平成4年1月7日齢96歳で成願された。その後任として平成5年、辻井純弘氏が第二代会長に就任され、会の発展に大きく貢献されている。黄菊会は平成6年には会員数二千名を超え、現在においても一歯学教育機関に所属した献体会としては唯一の献体会である。
献体49年の歴史を支えられたのは、上記の人々達と歯科医学の教育研究の進歩発展のために崇高なる篤志をもって献体された故人、献体活動に深いご理解とご支援を示されたご遺族によるもので、衷心より感謝を申し上げます。黄菊会のさらなる発展を願われる佐川寛典理事長・学長のご支援とご理解に対しても深甚の謝意を表わします。解剖学教育に従事するものとして、衷心より感謝の意をこめて合掌します。終わりに黄菊会ならびに献体活動が益々充実し発展するよう微力ながら尽力を捧げて参る所存です。
(解剖学講座教授 諏訪文彦)

 

 

 

 

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